コロナショックに思うこと『苦労は買ってでもしろ』

小さな会社は人材も労働力も潤沢ではなく、だからこそ人材も労働力も大企業比べて比較のしようがないほど貴重で掛け替えがない。
コロナのショックに思うことは、『人は生きている』ということ。
働いて成功して喜んで、失敗して落ち込んで、遊んで笑う。ひどい仕打ちに負けそうになってもその先に明るい未来が待っていると信じれる世の中だからまた頑張れる。明るい未来と希望が持てる世の中こそが生きる活力で、活力こそが「生きること」だと思う。
昨年から立て続けに社員が退職したり他界して、先日また金の卵が退職した。
貴重で掛け替えのないものを失った痛みも大きいが、頑張れる希望を与えられなかった経営者としての力量の無さを思い知らされた。
コロナによって追い打ちをかけられ、私自身も会社も疲弊しきってしまったが、これもまた天の声だと受け止め、夢と希望が持てる会社になるよう改革に励み、事業を展開をしていこうと誓った。
自身の身体にムチを入れた記憶がないほど長く平穏な日々が続いたが、金の卵の退職を機に次の30年のための仕事をしようと思う。
私は、仕事や作業を戦力の数で均等に割って振り分けることを嫌い、社員が最大のパフォーマンスを発揮するための「適材適所」を心がけている。
それによって仕事量に偏りが出てしまっても構わないと思っている。とにかく、足して足して頭数で割るのは嫌いだ。
例えれば、夫婦共働きと言う理由で、家事は交代。ごみ捨ても交代。掃除や洗濯もまた交代で。という考え方。
コストパフォーマンスを考えない安易な平等や権利を説く奴には途端に鳥肌が立つ。
平準化によって個性が損なわれるし評価も出来ない。なによりモチベーションが上がらないし個性を尊重していない。
モチベーションが上がらなければチャレンジングスピリッツを失い、成長は止まってしまうし楽しくないから続かない。
仕事量に偏りが出ても構わないと述べたが、それは仕事ができる者に、または仕事を頼みやすい者に仕事が集まってくるからで、言わば自然現象でもあり、信頼が厚く能力も優れている証拠でもあるのだ。
残念ながら、成長しない者は、それを「損」だと言ってネガティブに受け止める。
一方で成長する者はポジティブに受け止め、期待に応えようとして一生懸命に頑張るし、人が困っていたら手を差し伸べる。
結果、どちらが最終的に損をするのか?それとも得をするのか?は簡単に想像できるはず。
そこが成長する奴としない奴の分かれ道だ。
話を「仕事や作業を頭数で均等に割って振り分ける」に戻す。
私は、家事もゴミ捨ても掃除も洗濯もするが、それはあくまで補完であり、サポートであり、思いやりであり、、ご機嫌取りであって私の主たる役割だとは思ってない。
なぜなら、私にはもっと重要な役割があり、作業を均等に持ち合うことで重要な役割が全うできなくなってしまうからで、コストパフォーマンスも落ちてしまう。だから「等分」は本末転倒なのだ。
現在、JSPは「面談」を重要な取り組みとして取り組んでいる。
私は部門長に、教育や指導に重きを置くなと言い。
前に進むため、可能性に挑戦するために寄り添いながら共に考え、長所を伸ばしていくことが目的だと言い。
足らない部分を埋めるのではなく、得意をさらに得意にすることを優先するべきだと言い。
平均点を上げるのではなく、突出した得意を作ることが重要だと言っている。
それぞれがコストパフォーマンスを考え、どうすれば自分と仲間を掛け合い、化学反応が起こすことが出来るのかを考えることこそが役割分担であり、協業であり、創造なんだと言う。。
それぞれの個性を重視するというのは、勝手にやればいいということではなく尊重し合うということで、それによって化学反応を起こし不可能を可能にするということなのだ。
「苦労は買ってでもしろ」は死語になりつつあるが、やっぱり苦労は買うべきで、苦労を買えば誰かが楽をし、そうすれば徳が貯まって人が寄って来る。
お金は人が集まるところに集まるので、苦労は買ったほうが得なのだ。
ジェイエスピーは個性を育て、コミュニケーション、コラボレーション、チャレンジの「3つC」をコンセプトに2020年をスタートしたが、いきなりコロナと言う大きな試練に晒されてしまった。
さぁ、この試練、買うべきかやめるべきか????
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