楽しむ
先日、ルールを守ることが目的であってはならないという話をした。
自分を正当化するためによりどころをルールに求めたい気持ちもわからんでもないが、そういう思考は非常に危険だと私は思う。
なぜなら、それでは自立もしないし自律もしないから。すべてが他力本願で、自分の意思を放棄してしまっているからで、同時に自分で考えを持たないという無責任を宣言してしまうことと同じだからだ。
バランスを崩してしまい、怪しい宗教の教えを崇高であると信じ、精神をも崩壊しかねない危険性さえ感じる。怪しいカルト宗教に洗脳されやすい危険性を感じる。
と、そんな感じの話をしたが、では何が目的でなければならないのか?
まぁ、なかなかスケールのでかい問いだが、一言で言えば、『楽しむ』ことだと思う。
「そうなんだ?遊べばいいんだ!」と短絡的に閃いてしまったヤカラのために言っておくが、楽しむことと、楽をすることとは根本的に違い、「楽しむ」をはき違えてはいけないことを先に言っておく。
どうしたら「楽しむ」ことが出来るのか?
実はとても簡単で、『挑戦する』、ただそれだけでいい。
挑戦と言うのは、字のごとく、「戦いを挑む」こと。ようするに、強いものを打ち負かすために知恵を使うこと。勉強すること。経験すること。練習することと考えるとわかりやすい。
一人で挑む場合もあるが、会社においては仲間とともに力を合わせて挑むことが多いので難易度は高くなる。
しかし、その方が補い補われ挑むので喜びもひとしおだし分かち合える分、達成感を共有でき楽しさも倍増する。ようするに、さらに楽しむことが出来るのだ。
別の言い方をするなら、「可能性を追求する」こと。
挑戦することと可能性を追求することを忘れてはけない。
そうすればきっと楽しい。決してルールに支配されてはいけない。
コメントを残す
ブログ内検索