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ルールについて

2021年5月19日(水)

「昔はよかった」って、よく耳にする。おじさんになればそのワードを発する機会は多くなる傾向にあるようだが、なぜそう思う?

 

人間は比較的、痛みや悲しみ、悔しさを忘れるように出来ていて、良いことばかりが記憶に残るように作られているらしいが、私はそれだけではないと思う。

 

小学生、中学生時代の初恋の思い出とか、クラブ活動や運動会などクラスの仲間と同じ目的をもって目標に向かった思い出、喧嘩したり勉強を教えてもらった思い出、悪いこともたくさんしただろうし、先輩にコテンパンにやられた思い出も今となってはすべてが楽しい思いでではないか?

 

それは、何もかもが新しくて新鮮で、毎日が初体験で、生きてるだけで新しい体験が出来るし知識も情報もどんどん増えていったからで、いつでもどこでも「新しいことづくめ」だったからだと思うのだ。

 

そしてもう一つ大事なことがある。それはすべてが「無償」だったから。

 

高校受験や大学受験など競争に晒されるようになると、人間関係は多少ギクシャクするが、それでもちょっと利口か、ちょっとバカくらいの差しかなく、やっぱり無償の関係だったし金銭の利害に直面することはほぼなかったからなのだ。

 

社会人になって、いわゆるアマチュアからプロの世界に入り、プロの洗礼を受けるも、夢も希望もあふれる若者には怖い物がない。だから無理を承知で無茶をしながら理想を追いかける。楽しいし面白くて堪らない。がむしゃらに頑張ったし、楽しかったから頑張れた。

 

しかし、現実に打ちのめされることに慣れ始めると、「どうせやっても・・・」とか、「やっても損やん」とか、「なんで俺だけが?・・・」とかいう残念な思考に変わってしまう。

 

無償が有償に変わったときから何もかもが楽しくなってしまうのだ。

 

損得勘定、打算、僻みや嫉妬を覚えた瞬間に人間は面白くなくなってしまうし輝きを失ってしまう。アダムとイブが禁断の果実を口にした瞬間のように。

いわゆる「つまらないおとな」に成り下がってしまうのだ。

だから、「昔は良かった」となってしまうのだが、本当はそれは大きな間違えで、昔の自分は夢と希望に満ち溢れていて、事実楽しかったということで、今は自分がつまらない人間になってしまったから何もかもが面白くも楽しくもなくなってしまったということ。決して昔の時代が良かったというわけでは絶対にないのだ。

 

それを時代のせいにして言い訳をしていることに気付いていない。いや、気付いていても、そうすることで自分に言い聞かせているのかもしれないが、自分自身に原因があるということを真摯に受け止めることをしなくなったことが原因なのだ。

 

人の振り見て我が振り直せというが、面白い人って誰だろうか?って思い浮かべてみるとよくわかる。芸能人でも同僚でも上司でも友達でも誰でもいいから思い浮かべてみて欲しい。

 

浮かんできた人は、新しい情報や知恵を得たり体験することに飢えているし楽しんでいる。そしていつでも挑戦しているはずだ。往々にして他人と同じことはしていない。

 

言葉は悪いが、いつまでも子供っぽくて破天荒で型破りな人ほどそう見えるし実際生き生きしている。そういうことだし、そういう人は「昔は良かった」って愚痴らない。

 

昨今、コンプライアンスがどうの、ルールがどうの、弱者保護がどうのって、私に言わせればつまらない思考を推奨するかのようで、夢と希望を持って挑戦する者を迫害しているようにしか見えないのだ。

悪意を持って言えば、国ぐるみで無気力人間を製造しているのではないかとさえ思ってしまう。

 

社会には常識があり、日本には法律があり、会社にはルールがるが、それは無秩序と秩序のバランスが崩れないためにあるのであって、そもそも、それを守るためにあるのではないし、それに価値があるなんて思ってはいけない。

 

それを目的やゴールだ!なんていう大きな勘違いなどしてしまえばもはや質の悪い宗教に溺れるのと同じで、洗脳のスパイラルに引き込まれ、「THE END」なのだ。

 

決してそんな価値観で人生を歩んではいけないし、私は絶対に御免だ。

 

もちろん大きく逸脱すればそれなりのペナルティはあるが、それは生きていくうえで感覚的に知っていればいいし、それこそが生命力であり、脳ミソではなく身体が覚えてくれる。

 

批判を恐れず言えば、常識、法律、ルールなどクソくらえ!でいい。そんなものが呪縛となって、何事にも委縮して挑戦を忘れてしまうなら無視してペナルティを課せられた方がまだ益しだ。

 

法令を遵守すること、常識にとらわれすぎること、ルールを守ることを最優先する人生なんて意味も価値もないし、そんなつまらないものを優先したり、価値がそこにあると思ってしまったら、それこそ人生を棒に振ることになる。

 

もう一度繰り返すが、常識・法律・ルール、その手の類のものには、意味はあっても価値など存在しない。

 

だから、こどもの時のように、若かりし社会人1年生の時のように、自由闊達・縦横無尽にやりたいことに挑戦したほうが絶対に幸せになれる!! 私は断言する。

 

ただし、「責任と言う名のおもり」でバランスが取れる者だけの特権だということを忘れてはいけないが・・・・・・・・。

 

 

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