運用
運んで用いると書いて『運用』うんようと読むが、その意味は、「物をうまく働かせ使うこと」。
仕事とは運用だと私は思っている。運用して成果を出すことが仕事だと思う。まぁ、仕事に限らずいろんな場面で運用は共通するが・・・・。運用することが仕事であり、運用効率を上げることが価値だと考えている。
ただ、「物をうまく働かせて・・・・」と言う「物」の部分の解釈は、たぶんみなさんの思うところとは少し違うと思う。社長や管理職が社員や部下をうまく働かせると言う意味ではない。
私思う「物」は、キャリア・センス・発想・技術・得意や特技・身体能力・スタイルや見た目の美しさとか特徴など。いわゆる、「個性」のようなもの。
人間であればだれでも一つや二つ持っている「物」を運用することが仕事であり、その効率を上げることで価値が上がり成長もするし成功もするし、給料も上がる。と言うか、そのために運用効率を上げる。
だから、一流大学に行ってたくさん勉強して、人が知らないことをたくさん知っていても、それを運用しなければ意味がないし、そいつには価値はない。
一方、中卒でも持っている知識や先述した、私が考える「物」を最大限駆使して、すなわち運用して成果を出せる者には大きな価値がある。そういう意味では学歴には価値がないと言っていい。キャリアも技術も同じことだ。
ようするに、運用しなければ何を持っていてもそれは意味も価値もないということ。
だから、まずは自分にとっての運用できる「物」を知ることがとても重要になる。
日本の教育は片寄った価値を押し付ける傾向がある。算数が出来る者は〇で、出来ない者は×的な教育をするから、算数や国語、理科・社会が出来ないものを評価しない。子供をダメ人間だと洗脳してしまうので、素晴らしい個性(可能性)がたくさん潰される。
「護送船団方式」、「赤信号みんなで渡れば怖くない」、「五人組制度」、「一億総玉砕」などのワードがそれを物語っているが、大量生産や右へ倣えの時代は終わり、今は多種多様な価値観に対応しなければ人を導くことも成功することも出来なくなっている。
自分自身は個性や得意を知ることがとても大事で、また親や上司は、子供や部下の個性や得意を引き出し、それを最大限に運用することが求められている。いわゆるダイバーシティの推進だ。
勉強が出来なくても運動音痴でも不細工でも、必ずだれにも負けない「個性」がある。それを知っていれば武器になるし敵にも競争相手にも勝てる。勝てれば自信がつき、もっと強い相手にも勝てそうな気がしてくる。個性に磨きを掛ければどんどん強くなって誰にも負けなくなる。そういうスパイラルに持っていくことが大事だ。
勝てるもので勝負をすればいい。わざわざ負ける勝負はする必要はない。
社員には、個性を磨き、得意を伸ばして、それを知恵を使ってしっかり運用してもらいたい。
そして会社は、そのためのサポートが出来る『環境』でありたいと心から思う。
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