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選択するということ

2022年7月20日(水)

「人生は選択の連続である」(シェイクスピア)

「選択とは、つまるところ責任なのです」(フランクリン・ルーズベルト大統領の妻)

「決断しないことは、時として間違った行動よりたちが悪い」(アメリカの実業家、フォード・モーター創設者)

 

まさにその通りだと私も思う。選択によって成功する者も失敗する者も居るが、成功も失敗も自分が選択した結果にすぎず、人生においても仕事においても選択しなければ結果は伴わない。失敗する可能性があるからと言って選択しないというのも「選択」のひとつだが、私に言わせれば愚の骨頂で、それは人生を、または仕事を放棄することを意味する。

選択によって次の選択が生まれ、選択しなければ次の選択はない。つまり、人生も仕事も展開しないのだ。展開が無ければ人生も仕事もつまらない。それどころか後悔することになる。

シェイクスピアはそういうことを言っているのだと思う。

人生や仕事を放棄した者や、選択しない選択をした者、また選択してもらう者も居るだろうが、人の上に立つ者やリーダーと言われる者、またはそれらを目指す者には、選択できる勇気を持った者でなければならない。

私は日々選択をしてきた。それが仕事だから仕方ないが、選択することはとても怖い。即決即断することもあれば何日も悩んで選択することもある。また、それを撤回したり、またそれを撤回することもある。

選択が結果の分かれ道なら怖いのは当然だし、社員を道ずれにするのだから慎重になるのも当然で、悩んでも悩んでも選択しきれないのも当然だ。

選択をすれば、何かを選択しないということになる。だから、もし選択しなかったものを選択していたらと考えると夜も眠れなくなる。「二兎追う者は一兎をも獲ず」と言うように、多くの選択肢の多くを選んで、すべてを手にすることは不可能だ。だから選択には犠牲もリスクも伴う。だから、慎重になって当たり前だし怖くても当然なのだ。だから相当の『覚悟』も必要となる。

34年間もの長きに渡り会社が存続しているのは、私の選択に大きな誤りがなかったからだと自負しているが、その代わりに家族には多大な迷惑と犠牲を強いてきた。仕方なかったと言えば言い訳になるが、自分の選択だから後悔はしていない。いろんな意味でもう少し豊かであったなら二兎追うという選択もあったかもしれないが、私にその余裕がなかったし、今はそれでよかったと思っている。

だからこそ、選択した側で成果を出さなければならない。

リタイヤする時が来たら選択の基準が180度変わるかもしれないが、今はまだその見通しが立たない。1日も早く、会社経営という重責を負う覚悟を持つ「次の経営陣」を育てなければならないし、まだしばらくはそのための選択をし続けることになるだろう。

 

話がそれてしまったが、甘んじてその状況を受け入れる選択をする(選択しないという選択をする)のか? または状況を変えるための責任を受け入れる(リスクを負い犠牲を覚悟の上で選択する選択をする)のか?

 

時間は待ってくれないし、見て見ぬふりをして無駄に時間を費やすほど無駄なことはない。選択をしない「選択」と、選択する「選択」。

後悔しない選択ををして欲しい。

 

 

 

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